受け継がれる信州の技「古代あかね塗」
木曽平沢にはおよそ100軒の漆器店や工房があり、それぞれの職人が日々工夫を凝らした製品作りに励んでいます。なかでも、先代が開発した「古代あかね塗」という独特の漆塗りを継承し、オリジナリティ溢れる漆器を生み出しているのが、1830年創業の老舗「伊藤寛司商店」の伊藤寛茂さんです。
「『古代あかね塗』は、塗ったばかりの頃は暗い朱色なんですが、使い込むうちに艶とともに明るさが増してくる塗りです。技法自体は刷毛で塗ったら磨かずに乾燥させる『塗り立て(花塗)』という一般的なものですが、漆の配合や顔料の比率、室(もろ)の中の湿度や乾かし方、乾燥時間や塗る
タイミングなどに違いがあります」
信州の職人が生み出した”赤”
そう話す伊藤さんに案内され、実際に店頭に並んでいるものを見比べると、確かに時間が経ったもののほうが明るさが増しているのがわかります。その変化の様子が少しずつ明るくなる茜空のようだったことから、先代である伊藤さんの父が「古代あかね塗」と命名しました。
誕生したのは、今から40〜50年ほど前。それまで高い需要があった座卓が次第に世の中で使われなくなり、創作が小物作りにシフトするなかで、次なる活路を見出したのが開発のきっかけです。
「販売を担当していた先代が、東京のデパートのバイヤーさんから、漆を使って従来の朱色より落ち着いた色合いの赤色を出せないかと相談を受けたことがヒントになりました。おそらくバイヤーさんはいろいろな漆器の産地に声をかけたのでしょうが、偶然、先代が声をかけられ、漆に詳しい先々代に相談しながら塗りの職人であった叔父と研究を重ね、1年ほど試行錯誤をして完成させました。私たちだけにしか出せない色です」
信州ならではの仕上げ
他社が真似できない大きな特徴のひとつが、最後の仕上げの工程である上塗りに「天日手黒目」で精製した日本産漆を使っていること。「天日手黒目」とは、木から採取した漆から木屑などのゴミを濾しとっただけの乳白色の生漆(きうるし)を、1日中、天日に当てながら手作業で攪拌し、徐々に水分を飛ばして透明度を高めていく手間のかかる精製法です。「伊藤寛司商店」では、毎年8月終わりから9月にかけて従業員総出で日本産漆の「天日手黒目」を行い、1年分の上塗り用の漆を精製。
また、日本産漆は、漆器産地の9割以上で使われている中国産漆に比べ、7〜8倍の価格ではありますが、漆の主成分であるウルシオールの量が多く、粘り気が少なくサラサラしている特徴があります。塗るとウルシオールが空気中の水分と結合し、硬い塗膜になって、より手触りのよい落ち着いた色合いの漆器になるのです。
なお、「伊藤寛司商店」では「古代あかね塗」のほかに、木地呂塗や溜塗、根来塗、呂色塗などさまざまな技法を手がけていますが、全ての上塗りに、この「天日手黒目」で精製した日本産漆を使用。また、その日本産漆も数年前までは岩手県浄法寺産を使っていましたが、近年は松本市で漆が取れるようになり、現在は松本産漆を使用しています。
これからも新しい価値を求めて。
1つの漆器を作るのに要する時間は2〜3週間。そうして時間をかけて作った「古代あかね塗」のファンも多く、「木曽漆器祭り」では、毎年来店して1品ずつ増やしている人もいるのだとか。記念品や結婚式の引き出物としての受注も多く、また、ファンのリクエストに応えてパスタ皿を作ったこともあったといいます。漆器は金属のフォークが使えないため、合わせて漆塗りのフォークも製作。他に、子どもの頃使っていた将棋盤に「古代あかね塗」を施したり、油絵作家の展示会用の額縁を「古代あかね塗」で作ったりと、ファンの要望に応じて柔軟に対応しています。
「こうしたお客さんから『使ってみてよかった』『いつもの味噌汁の味が数段よくなった気がする』といわれると、やはりうれしいですね。古代あかね塗は色もいいと言われますが、やはり使い心地がよいといわれると、作り手冥利に尽きます」
この他、7〜8回塗り重ねる漆の全てを日本産にした希少価値の高い上質な手触りのプレミアム製品も製作。現状に甘んじることなく、常に新しいものを生み出す先代からのDNAが伊藤さんに息づいています。
有限会社 伊藤寛司商店
塩尻市木曽平沢1607
Tel.0264-34-2034
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